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心のカルテ 第4回

原因をしっかり見極める

 どのような病気でもそうですが、悪いということにできるだけ早く気づいて、できるかぎり早く有効な治療を開始するというのが上手に治す秘けつです。それは不登校という病気でもまったく同じです。悪いと気がついたら、なるべく早く治療を開始するのが大切です。治療法は有効であればどのような方法でもかまいません。家族が自分たちの力だけで治してしまうのが理想的ですが、不登校が完全に発症してしまう家庭では、家族が正しく機能していないばあいがほとんどで、家族が自分たちの力だけで子どもを治すことができないことが多いようです。

 不登校は学校で生じた問題だから、学校の先生方が治してくれるものと決め込んでいる家族も時々みられますが、このような他人任せな態度では子どもの治ることは期待できません。また担任の先生が一人で頑張って、治そうと大変な努力をしておられるばあいもありますが、学校という立場で子どもをみるばあい、とかく「登校」「不登校」という表面的な症状にとらわれやすくなり「友人関係」や「学力補充」に偏った対応になりがちです。この点に関しては家族も同様で「学校に行ってくれさえすればいい」「長く休むと勉強も遅れるし友達もいなくなるのが心配だ」との訴えが一番多いように感じます。

 不登校を「治したい」と考えるなら、不登校は病気だと考えるのが近道です。病気にはそれぞれ原因があり、それぞれの原因に応じた有効な治療法があります。ただこの病気は医者でなくても治すことができ、また逆に医者の力だけではなかなか治し切れないところが、他の病気とちょっと異なるかもしれません。

 そのような認識のうえに立って不登校の治療を考えるばあい、治療上の重要なポイントは原因や病巣の所在を探り、しっかりと病巣をえぐり、原因を断つ治療をおこなうということになります。「登校」「不登校」という表面的な症状にとらわれて「学力の低下」のことばかり心配していると大切なことを見落としてしまいます。「原因のあるところに治療もある」と考え、病巣を確実にえぐり取ってください。

 発病の原因を深くたどり、心の奥底まで治療するのは子どもの年齢が若く、病気があまり進行しない早期のほうが手がつけやすく、また完全に治せる可能性が高くなってきます。その意味で不登校の早期治療体制の確立というのは行政上最も急がれる問題の一つだと思われます。

 不登校を早期に完全に治すためには患児を取り巻く多くの人びとの協力が必要です。家族や学校の先生だけでは正確にその原因を見抜くことができず、何らかのかたちで不登校児の治療の専門家(それは医師とは限りません)の力を借りることも多いようです。このような学校と家庭と専門家を結ぶ治療体制が整っていれば、多くの不登校児はもっと早期に効果的な治療を受けるチャンスに恵まれるように思われます。


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母の苦労を聞かせる

 さて、A君の両親ですが、約束どおり指定された日時に私のところに二人そろって面接にやって来ました。学校長の先生に「こんなことじゃ困るから行ってきちんと治す方法を教わるように」と多少きつめに指導されたかいがあって、両親ともにやや神妙になって緊張気味です。私はこの両親の第一印象で「いけるな」と感じます。私は実際の治療の場面のなかで最初の「出会い」をとても大切にしています。いいかたちで出会いが演出され、最初の面接の日から強い信頼関係を獲得するということは、その後の治療の流れをとてもスムーズなものにしてくれます。そのために学校の先生方とあらかじめ連絡を取り合っておくことは大変役に立ちます。

 「こんにちは。今日はご苦労さまです。私がここ(教育委員会)の相談室で不登校の子どもたちの相談を受けている志太病院の林です。ところでお子さんのどんなことで困っておられるのですか?」といつもの決まり文句で面接が始まります。母親はあらかじめ用意してきたメモを見ながら、今年の春からいままでにあったことをせきを切ったように話し始めます。

 私にはあらかじめわかっていることですが、とりあえず母親が一息つくまで話させ、そのあいだに簡単にメモをとりながら両親の様子をそれとなく観察しています。母親は言いたいことがたまっているのを、一気に吐き出そうとしているような様子です。父親は校長先生の命令だから仕方なくついて来たという表情をしています。どうも母親は家では不平不満を十分に聞いてもらっていないようです。ところが父親の顔には「またいつものおしゃべりが出てうんざりだ」と書いてあります。私は家庭での夫婦の会話のパターンを想像しながら父親のイヤそうな表情を横目に母親の苦労話を聞いています。母親にこの場を借りて自分の苦労を父親にたっぷりと聞かせることがすでに治療の一環となっているのです。

 母親が一息ついたところで「ご家族は何人ですか」と話題を家族のほうに向けます。母親のしゃべるペースに合わせつつ「お父さんは協力的でしたか」[祖父母とはうまくいっていましたか」と聞きたい内容を質問していきます。父親は「何もそんな家族の恥をさらすことはないじゃないか」と言わんばかりの表情ですが、もう調子に乗った母親はとまりません。

 その後「今度はこの子が赤ちゃんのころからいままでの成長の過程を話してください」とA君の生い立ちについて質問します。母親の話すペースが途端に遅くなります。「とにかく手のかからない子でした。下の子に手がかかったからこの子のことはあまり覚えていません」と声まで小さくなっています。

 今回の面接でわかったことはA君の弟は生まれた時に心臓に小さな穴があいている病気(心室中隔欠損症)があったこと、病気は幸い六ヵ月のときに自然に治ってくれたのですが、両親や祖父母は極度に心配して弟のほうばかりに目がいってしまっていた、そして特に意識してそうしたわけではないのですが、結果的にA君にかける愛情が稀薄になってしまったということでした。


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祖母に任せっきり……

 第一回の両親との面接で明らかとなったA君の生い立ちはおおよそ次のとおりです。

 A君の両親は友人の紹介で知り合った恋愛結婚。A君が生まれたのは二人が結婚して二年目の三月。ふつうのお産でA君が六ヵ月までは母親が育ててミルクと母乳の混合栄養。一人目の子どもとしては順調なほうで、ミルクもよく飲んで離乳もスムーズに進みました。七ヵ月の時から母親は事務のパートに出るようになりそのあいだは祖母が見るようになりましたが、特別手のかかる子でもなかったので祖母にもよくなつき大事にされました。

 四歳の時に弟が生まれ、その子が生まれた時から心臓に病気があったためA君は急きょ幼稚園に入園することになりました。甘やかされることに慣れていたA君ですが、最初こそ少しぐずって行き渋ったりしたものの、やがては先生にも慣れてふつうに通園していました。小学校に入学しても少し他人より動作が遅いほうではありましたが、別に集団に加わっていけない、ということもなく、時々軽い渋りはありましたが、続けて休むということはありませんでした。

 A君の弟の病気は幸い軽く、六ヵ月で自然に治ってくれたのですが、それまでのあいだ「あまり体重をふやし過ぎないように」とか「必要以上に泣かせないでください」などとお医者さんに言われていたため母親も祖母も心配が絶えませんでした。お医者さんに「もう治ったから大丈夫ですよ」と言われた後も母親は心配で、パートも辞めて弟の世話につきっきりの状態でした。いま考えてみればそのときA君を祖母に任せっきりでほうっておいたのが、いまになって返ってきているような気がするとのことでした。

 このばあいもそうですが、多くのケースでカウンセラーがゆっくり話を聞いていけば、両親の口から自然に発症の原因やきっかけが語られる、ということがみられます。両親も何となく病気の原因に気がついているのだけれど、やっぱりどうしていいかわからないし、どうにもしようがない、というのが実情のようです。私は答えがわかっていてもできるだけ教えず、自分たちの口から出てくるのを待つように心がけています。そうすることが子どもを「自分たちで治した」という両親の自信につながっていくからです。

 そこまでの話を聞いて私は「だいたいお話はわかりました。お母さんが最後に言われたことはとくに大切なことでまったくそのとおりだと思われます。四歳のときまで甘やかされて育ってきたA君が、急に弟に愛情を奪われその寂しさが募っていまになって不登校になっているのです。

 このような子どもは分離不安といってお母さんと離れると何もできなくなり離れることができなくなったりするのです。こういうのは不登校の原因としては比較的多いほうで珍しいことではありません。今日からその寂しさを埋め合わせるために存分に甘やかしてあげてください」と夜一緒に寝ることと次回また父母で面接に来ることを指示して第一回目の面接を終わりにしました。


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両親のあいだに協力関係

 A君の両親との第一回目の面接は上々の出来でした。最初はあまり気乗りのしない様子だった父親もA君の生い立ちの話のあたりから少しずつ言葉を狭むようになり、最後に私が全体をまとめる話をしたあたりではなるほど、とうなずきながらも「いままでは甘やかし過ぎだと思っていたのですが、これは以上甘やかしても大丈夫なのですか」と質問を発するほどでした。

 私は不登校の相談を受けるばあい、よほどの事情がないかぎり両親でそろって面接に来てもらうようにしています。以前は母親だけと面接することが多かったのですが、父母面接を原則とするようになってからのほうが圧倒的に治療成績がいいようです。以前は父親の仕事が理由で両親がそろわないことがよくありましたが、一ヵ月ぐらいの余裕をもって日時を指定し、あらかじめ校長先生から両親で訪ねるように指導をしていただくなどいろいろ工夫を凝らして両親に来てもらうようにしています。

 とくに私が教育委員会の相談室で相談を受けるようになってからは、両親も「病院へ行って診てもらう」から「教育委員会へ相談に行く」というような意識の変換があり、面接に両親で訪れるケースがほとんどになりました。

 私がどうしてこんなに父母面接を大切にするかというと、そうすることが確実に子どもたちの迅速で効果的な治療に結びつくからです。前述の話のなかにもあったように父母面接の場はその場を借りて家族内の弱者が、相手に不平不満を聞かせる格好の場になります。カウンセラーは少し母親の肩をもったり、父親の言い分を認めたりしながら両親がお互いの不平不満をもっていることを明らかにするとともに、そのことをお互いに口に出すことによって不満の解消をさせることができます。また同時に「一緒に相談に行く」という行動を通じて両親のあいだに自然なかたちで協力関係を芽生えさせていくことができます。いまや私のおこなっている治療のなかで、父母面接は重要な位置を占めるようになってきています。

 父母面接を少し拡大して祖父母や子どもたちとともにおこなう治療に家族療法があります。私も時々取り上げる治療法ですが、うまく行くときは恐ろしいほど劇的によくなるのですが、毎回毎回かなりの時間と労力と神経を使いますので、どちらかというと苦手で症例を選んで使っています。父母面接は一種の家族療法でその縮小版のようなものです。効力的には家族療法には劣りますが、安全性という面では優れているように思います。父母面接にせよ家族療法にせよ指示された人びとが全員定刻に集まるというのが治療上の重要なポイントです。このように皆が共同で一つの目的のために行動するということが、すでに治療の一環となっているからです。そして皆が治療者を信じて、その指示を忠実に守ろうと努力するなかで、自然と家族の失っていた治癒力がよび戻されてくるのです。


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出生前から始まる

 A君の両親との第一回の面接のなかで、どうもA君の不登校の原因はその生いたちに潜んでいるらしい、ということがわかってきました。私は不登校の子どもをみていくうえで、家族関係とともにその生い立ちについて詳しく調べることにしています。不登校の子どもたちの大半はこのどちらかに原因があり、ばあいによってはその両方に原因があります。生いたちのなかで受けた心の傷に加えて子どもの心をむしばむような家族の状況が続き、長年の蓄積の結果、ついに発症するというのがしばしば見られるパターンです。

 その子の生い立ちのことを私は〈生育歴〉という言葉でまとめるようにしています。成育歴と書くのが正しいのですが、なぜかこっちの字のほうがしっくりとくるようです。これからのしばらくは登校拒否と子どもの生育歴のことについて書こうと思います。

 子どもの生育歴はすでに子どもの生まれる前、両親がどのようなかたちで出会い、どのようなかたちで結婚したか、というところまでさかのぼります。二人の結婚はお互いの望んだことだったのか、周囲や両親には祝福され歓迎されたのか、子どもは望まれていたか、性別やその他の理由で周囲や両親を失望させはしなかったか、お産は母親にとって幸福なものだったのか、初期の授乳は順調に進んだか、授乳が母親にとって楽しみだったかどうか、身長や体重のふえ方は順調だったか、病気のことで周囲を心配させ過ぎはしなかったか、離乳食は順調に進んだか、ハイハイや独り歩きは積極的にできていたか、独り遊びと親と遊ぶときの区別はできていたか、言葉の話し始めやその後の言葉の発達はうまくいっていたか――。

 このようなその子が生まれる前から乳幼児期までの発育・発達の様子、母子関係の様子、またそのころ母親をとくにイライラさせたり心理的に不安定な状態にするような社会的、家庭的な状況はなかったか、などを最初に詳しく聞いていきます。

 このようなその子の出生前から乳幼児期にかけての状況は生育歴のなかで大切な事項の一つです。子どもたちはこの時期に心の傷を負うとそれはすぐに反応して症状となって現れることもありますが、多くのばあい、何年かの潜伏期を経てから症状となって現れるようです。

 乳児期早期の母子関係の乱れの恐ろしさを物語る病気の一つに、心因性の哺乳(ほにゅう)障害があります。このような現象を心因にもとづくものと考えることには異論のあるお医者さんもたくさんいらっしゃると思います。しかし実際の問題として母親がミルクを飲ませようとするとまったく飲もうとしないのに、祖母が飲ませると喜んで飲む。栄養失調で入院して看護婦さんが飲ませると何とか飲むのだけれど、家族がそばにいると飲まなかったり、家族が与えるとまったく飲まない。そしてそれが単なる授乳の技術的な問題だけではない、ということが存在するのです。

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