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心のカルテ 第13回

欲望のコントロール

 がまんのできない子どもが増えました。欲しいといえばなんでも買ってもらえると思っている子ども、金銭感覚の乏しい子どもが増えています。このことも親達の子育ての態度に端を発しています。
 子どもには、物を与えすぎないほうがいい。現代の子ども達は、無制限に物を与えられすぎています。そのため手に入らない物があったときに、がまんするという気持ちをまったく失っています。また一方で、物がなくてもなんとか.工夫するという能力が養われていません。ようするに、与えられた物で遊びあきたら、次の物を買ってもらうだけの子どもになってしまっているのです。
 そもそもの始まりは、戦後の物のなかった時代に育った子ども達にあります。その頃の子ども達は、物がなくてもなんとか生きる努力をして育ちました。ところが大人になって子どもを育てる頃になると、自分達の子どもの頃には想像もできなかったほど、物の恵まれた世の中になっていました。いわゆる高度成長期の社会で、親達は自分の子どもにだけは、不自由さを味わわせたくないと思って育てました。そうして育てられた子ども達がいま親になっています。だからいまの親達は、子どもに物を与えるのは当然だと思っているのです。
 子どもが欲しいといわなくても、次々と物を与えます。本、レコード、学習用具、楽器、コンピューター、と頭を使いそうなものならなおさら大歓迎です。英語に算数、水泳に美術と、幼い頃から習いごとに通わせる。学習塾などは親の送迎つきで「通っていただいている」という感覚です。そうすることが、親の愛情の証しであるとさえ信じています。
 だが、子どもが本当に欲しいと思っているのは、物を与えられることではないのです。子どもにとっては愛されるということ、幼い時には親がいつもそばにいて、同じ時間に同じことをしてくれることを望んでいるのです。一緒に寝、一緒に食事をし、一緒に遊んでくれることを本当は欲しているのです。
 もしも時間がないことを理由に、親が物を与えることで済ませてしまうと、子どもは親の愛情とは、物を与えてくれることだと思いこんでしまいます。そういう子どもは何歳になっても物欲が強く、次々と高価な物をねだるようになります。親が買ってきてくれなくなると、物を盗むようにさえなります。あるいは急に親のいうことをきかなくなります。これは子どもにとっても大変不幸なことです。
 子どもに教えなくてはならないのは“真の愛情”ではないのでしょうか。それは子どもに無制限に物を与えることでもなく、またいつまでも過保護にすることでもありません。幼い時には親に総てを依存していた子どもも、ある時期になると独り立ちしようとし始めます。この時期には、子どもを自立させてやるのも親の愛情です。
 いつまでも自分の所有物のように思い、子離れのできない親が増えていますが、それでは子どもをダメにしてしまいます。責任感や自立性のある子どもに育とうとしているのに挫折してしまい、その結果世俗に流れ気ままな子どもになってしまうかもしれないのです。
 がまんの大切さについて話してきましたが、人間にとって欲望とは生きるための根源的なエネルギーです。したがって欲望のない人間には、生きるエネルギーがないのと同じです。子どもの最初の欲望は母親の愛情を独占し、あらゆる苦痛をとり除かれて完全な身体的快適状態におかれることを望むことに発します。
 そのため、子どもにとっての最初のがまんは、それらの欲望をいかにがまんするかということに始まります。この人生最初のがまんはとても大切で、それをまったくさせないとわがままな子どもになってしまいます。かといって子どもの欲望を受けいれないでいると、生きるエネルギーの低い子どもになってしまいます。子どもの要求をどれだけ受け入れ、どれだけ受け入れないかがとても大切な問題となります。
 欲望のコントロールという人生最大の課題は、親が子どもの要求に対して制限を加えることによって子どもの心の中に育ちます。そしてまたそのコントロールの方法は、代々親から子へと伝えられることにより、社会の規範となってゆきます。一人の子どもをどう育てるかが、やがては社会の向うべき方向さえ左右してしまうのです。

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宗教心

 子どもを育てていくうえで、宗教心をもたせるのはよいことだと思います。宗教心は欲望をコントロールするには、大変効果的なものです。だから子どもに「悪いことをするとちゃんと神様が見ているよ」と教えておくのは、本人のためにも社会のためにもプラスになることです。
 それは特定の儀式をともなう宗教である必要はなく、子どもの道徳心を少し涵養する程度のもので十分です。宗教の儀式や寺院は大人達のもので、子どもには親が少し話すだけで十分に効果があります。子どもとは親や大人のいうことを信じるものだからです。
“子どもが育っていく中で、ある程度の宗教心が必要である”とはエリックソンも述べていることです。宗教が人を救うのは、自分の中にある欲望と道徳心の戦いの中から救うのです。したがって自分の欲望のコントロールをする時、とりあえず子ども達が宗教心によって道徳心を強化し、信仰という理性的行為で欲望を上手に抑えつける方法を学ぶなら、それは子どもにとってよいことだと思います。さらに努力、勤勉といったことも奨励して、「他人が認めてくれなくても、神様はちゃんと見ていてくれるのだから」とでもいえば、さらに効果的でしょう。
 このように親が子どもを信心深く育てることは、自分にとっても社会にとっても、決してマイナスになることではないのです。ただし度が過ぎて、欲望のもつ生命的エネルギーの火を消してしまったり、信じ祈ってさえいれば幸せになれると思い込ませたり、宗教的影響力が国家、社会を支配するほど力をもったりした場合、話は別です。そのようにならないかぎり、宗教は個人にとっても、社会にとってもある程度は有益なものだと思います。
 見つかりさえしなければ、いくら悪いことをしても平気な子どもが増えています。そうはいっても実際は大人のまねをしているだけのことです。ワイロだろうと脱税だろうと見つからなければしなけりゃ損だと思っている大人もいるようです。まさか国を代表する政治家の中にそんな人間はいないと思いたいのですが、子ども達にそう感じさせるような問題が報道されるようでは困ったものです。
 浮気の問題にしてもそうです。夫婦の愛情が稀薄となり、性そのものが生殖行為としての価値を失ったために、より刺戟性を求める風潮がつくった現代の流行のようなものです。しかしこれも国を代表する人物があたり前のような顔でしていたのでは、子供達に「悪いことだ」とは教えにくいものです。
 大人の社会では、見つからなければどんな悪事をしてもいいと考え、事実そうしなければ正直者がバカをみるような風潮が蔓延している今日、善悪の規準はとてもむつかしくなってきています。昔から守られてきた道徳感や善悪の規準が、子ども達に伝わりにくくなってきています。
 それだけに大人は少なくとも子ども達の前でだけは善人でいて欲しいものです。そして善悪の規準を子ども達にだけはきちんと教えて欲しいものです。そうすることによって、子どもの中に自然に善悪を判断できる心が育ち、たとえ大人になって陰で悪事をはたらいたとしても、子どもを育てる時は一人の親として、善悪のケジメについて話す親になるでしょう。そして逆に大人達も子どもから教えられて善と悪との規準を再認識することでしょう。
 そんな時大人達が宗教心について話をすれば、もっとすばらしい効果を生みます。「神様はいつも空の上から見ているよ、おまえが父さんにかくれて悪いことをしてもちゃんと見ていて、後になって必ずしかられることになる。それにとても優しい方だから、おまえが人にみられずによいことをしていると、これもちゃんと見ていて後でごほうびをくれるよ」という話をしてみるのはどうでしょうか。
 子ども達がそう信じて生きてくれれば大成功です。ただし大人になってからがっかりしないよう、子ども達にすばらしい社会を残してやることを、大人は忘れないで欲しいと思います。

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もっと子どもの数を

 これまでどちらかといえば悲観的なことばかり述べてきました。そこで一つ前向きな意見も提案しておきます。日本の夫婦はもっとたくさんの子どもを生み育てるようにしてはどうだろうか、ということです。
 日本のGNP、国民一人あたりの所得よりみれば、いまの日本で一家庭四人の子どもを育てられないはずはありません。政府はいまのうちに手をうって住宅政策を充実させ、四人分の子ども部屋をもつ住宅と、四人の子どもを充分に育てられる収入を保証する政策を実現することです。
 そうしないと、やがてくる深刻な労働力不足により、夫婦は子どもを育てるひまさえもてなくなり、子ども不足は不可逆的に進むことになります。そして苦肉の策としてとる労働力の移入は合法的な奴隷制(?)を生み出し、日本人の子どもはいかに外国人労働者を安く使うかという管理者教育を受けるようになり、もっと冷たい、もっと子どもの育てにくい社会ができてしまうことになります。人びとはもっと金に目がくらみ、もっと正直者がバカをみてしまうような社会になってしまうでしょう。
 そうならないためのただ一つの道は、日本人がもっとたくさんの子どもを生み育てることです。子どもの数が増えるだけで、一人ひとりの子どもにかけることのできる費用は減り、親達が無制限に物を与えられなくなる結果、もう少しがまん強い子どもが増えることでしょう。兄弟間のもみ合いの中で自然に社会のルールも覚え、また同世代の子どもと遊ぶ機会も増え、社会性の豊かな子どもが増えることでしょう。
 子どもを生むよろこび、子どもを生ませるよろこび、そして共に育てるよろこびを通じて、夫婦の絆も愛情ももっと強いものとなり、性の意味ももっと重いものになるでしょう。子どもが増えれば労働力の増加によって年金の財源も安定してくるし、親は豊かな老後を保証されることになり、労働人口の増加によって生産力も増し、豊かな社会を持続させることが可能となることでしょう。
 多少誇張気味であり、楽観的すぎるようにみえるかもしれませんが、子どもの数が増えることは、今の日本社会と日本人の利益にとってはかりしれないほど“いいことずくめ”なのです。なのにやはり子どもの数を増やそうと思わない親達が多い。子どもにかかる教育費その他理由はいろいろあるとはいえ、子どもを社会の宝と考えるよりは、自分のアクセサリーか財産のように考えている親達が多いことによるのではないでしょうか。
 しかしそろそろ子どもは自分達だけのもの、という考えを改めようではありませんか。子どもはいつか大人になり、社会に出、独立していくものなのです。そうなれば彼らは社会の一員になるのであって、もう自分達だけの子どもではなくなるのです。
 今日の福祉を考えれば、老後は自分の子どもだけが養ってくれるのではなく、国や自治体を含め社会全体で担っているのです。子どもの数が少なくなり、労働力不足が社会の生産力を低下させてしまえば、いくらその子がはたらいたところで自分達も養ってもらえなくなることになります。
 そう考えれば、子どもの数をもっと増やすということは、大変重要なことなのです。そうなれば「少ない子どもを大切に育てる」という現代の“子育て観”も変わってくるでしょうし、また現代の子ども達をダメにしている原因も少なくなるでしょうし、ひいては不登校の子どもの減少にもつながると思うのですがいかがでしょう。

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